コマヤド77**

雑な文

My Bloody Valentine(2018)

2018年,夏。

 

掘っ立て小屋の最新版みたいな「豊洲PIT」のフロアに入る。思いのほか天井が高く,効きすぎている冷房は無人の地下鉄車内を想起させ,そのせいか不思議とSEから流れるBGMはあまり耳に入らなかった。ステージでは巨大なスクリーンに星のようなものがぼんやりと流れ続け,この箱になんだかとてもピッタリじゃん,と心の中でつぶやいた。

 

何度めかのMy Bloody Valentine(MBV)を観に来たのだけれど,直前まで寝ていたせいか今ひとつ実感がない。意外と言っては失礼なのかどうなのか,若いお客さんが多かったことも理由の一つなのかもしれない。

 

客電が落ち,かなり前方のお客さん,おそらくは僕と同年代のおじさんが「ビリンダー!」とだけ何度も叫ぶ。ああ前もこのひと居た気がするな,名前叫ぶだけなんだよな。そういや昔,新日本プロレス後楽園ホール木戸修の試合のときに「キドー」と野太く叫ぶオヤジがいたな。他の客も真似して(笑いを取るために)叫ぶんだけど,木戸オヤジは試合中数回しか叫ばないし,ここっていう場面でのみ,いつも同じ声量で「キドー」と叫ぶんだよな。それは何故かハッとさせられることも多くて,なんだか不思議と感心したっけ。木戸も木戸オヤジも90年代半ば以降どこでどうしているのかよく分からないけれど,いま後楽園ホールに行っても木戸オヤジは北側シモテあたりから「キドー」と叫んでいる気もする。木戸修は無名の毛むくじゃら外国人の下手くそなラリアットで3カウントを取られ,しばらく立ち上がらず,誰にも見つからないように髪型を直し,少しだけ痛そうな顔を残して,第2試合のリング上をいつもどおり去っているのかも知れない。

 

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I ONLY SAID,WHEN YOU SLEEPといつもどおりの出だし。ドラムとベースがこれまで観たMBVのなかでは最高に冴え渡るなか,歪んだ2本(時に3本)のギターがその精巧なリズムを内側から壊していくように,更には吐息のような二人の声が,小さな不穏や不協を作り出すかのように展開され,聴くに連れそれはやはり美しく,(踊りというのかはよく分からないが)僕らはゆさゆさと体を揺する程度に踊り,静寂が訪れた時に拍手を送る。新曲ではないが古くもない微妙な位置加減の名曲「NEW YOU」は,唐突に新しくやって来た家族のような雰囲気を醸し出し,スクリーンではずっと昔から観てきたようなアレな映像がリフレインされている。するときゅうにぼくはいまここはどこでなんねんでいったいいままでなにをしてきたのかなんだかよくわからなくなってきて,何もかもがあのままで,何もかもがずっとそこにあり,時など無く,ただずっと続くリフレインに,リフレインのなかに,時など無く,僕らはいまがいまなのかも知らず分からず,時など無く,ただずっと続くリフレインのなかに,くらげのようにゆさゆさと揺れているだけなのかも知れない,などと意味不明のこt

 

そうやって月日や時間はケヴィンのギターで歪まされ,小学生の眠れない夜に訪れるような真理な疑問は,ビリンダの堕天使の吐息のような声に有耶無耶にされる。曲が終わりビリンダが微笑む。おっさんが「ビリンダー!」とまた叫ぶ。ああそうだマイブラを観に来たんだな,と,やっと僕の中に実感が伴った。

 

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新曲(!)で少しどよめきが起きて,僕はふとようやく当たり前のことに気づく。いまは2018年で,ここは初めて来たサエナイ大箱だ。右隣の男の子はずっとスマートフォンを頭の上にかざしステージを録画することで,自身の高揚を無意識に表現している。そしてその高揚に比例するかのように,液晶の輝度は大概えらく高い。誰も,いや自分すら振り返らないであろうそのステージ映像を,スマートフォンのレンズは斜めに切り取っている。左隣の中年女性は,普段あまりカメラアプリを使わないのだろう。シャッターを切るたびにフラッシュが焚かれ,ビリンダには残念ながらその小さな光は届かず,前の客の後頭部キューティクルを美しく切り取り続けている。カップルで来ていた女性のほうは,時折LINEのUIに目を落とし,電波が届きにくい豊洲PITを憎んでいるような表情をしていて,その不機嫌をケヴィンに向けているようにも思える。中年男性の殆どは腕組みをし,うっすら目を瞑り,うんうんと頷くようにリズムを取り,時々カッと目を見開いてステージを眺め,何かを得たのか満足そうにまた目を瞑り,やはりまたうんうんと頷き続けている。彼らがリズミカルに頷く姿は,悲しみとか切なさに似ているのだけれど,ひどく分かりにくく完結しているようで,誰かが入る隙間はない。

 

そしてそのいずれのひとびとも,誰でもなく,僕,自分自身なのだ,とも思う。 一番好きな曲,ONLY SHALLOWが始まり,僕は腕を組み目をうっすらと瞑り,うんうんと頷いた。

 

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終盤,SOONの前だったか,おっさんがしぶとく「ビリンダー!」と叫ぶと,ビリンダは彼に向かって微笑み,お礼をいい,手を振った。爆レスこのうえない。以降彼がビリンダの名を呼ぶことはなくなった。彼は役割を終え,堕天使に連れて行かれたのだろう。木戸はどこへ行ったんだろう。木戸オヤジはいま誰を観ているのだろう。時間ははっきりと有り,僕らは歳を重ね,時代や世の中は気付かれないようにぬるぬると変わった。ビリンダおじさんが役割を終え土に還り,その代わりに曲間に静寂が灯り,YOU MADE ME REALISEが始まる。

 

 

 終演後,途中LINEをしていた女の子に男の子が「最後の爆音すごかったねえ!」と興奮気味に話す。彼女も「すごかったね!」と嬉しそうに返す。うんうんと頷いていた中年男性たちは,終演直後に言葉を発することを恐らく若い頃から禁忌としていて,俯いたまま物販の方へゆっくりと進む。ツイッターでサーチすると「マイブラ単独今日だったのかよ」「耳栓配ったのww」「マイブラやば」「爆音すげえ」が溢れている。

 

2018年,夏。僕はそんなふうにMy Bloody Valentineを観た。