OPPAI
おっぱいを触りたいだけの時って生きているとある。
あるあるある。
百歩譲って性的な意味も多少は含まれているんだろうけれど,むしろどっちかって言うと触りたい「だけ」なの。
ひともみくらいでいいの。いや,ふたもみかな。
さんもみめからはおかしなことになりかねない気はしている。
皆さんはこう思うかも知れない。
「奥さんのを触ればいい」
「未婚なら彼女のを触ればいい」
「へんたい」
一理ある。
でも彼女とか妻とか言うのはそこに「愛情」があり,だからおっぱいを触っていいという決まり事の上に成り立っている。おっぱいの手前に愛が来る。これはいかん。マズイ。愛を確認してしまう。これは非常によろしくない。
だってオレはただただ,おっぱいを触りたいときがあるんだよ。
愛とか恋とかじゃないんだよ。
おっぱいをたださわりたいの。
ひともみくらいでいいの。いや,ふたもみかな。
さんもみめからはおかしなことになりかねない気はしている。
皆さんはこう思うかも知れない。
「じゃあ風俗とかいけばいいじゃん」
「誰かにお願いすればいいじゃん」
「へんたい」
一理ある。
だが風俗というのはもうコレぶっちゃけお金じゃん。性欲じゃん。
知り合いに頼むのもアタマおかしいと思われるかエロい目でしか私の事見てなかったのね,ってな結論に至るでしょう。エロ目的と判断してオレを睨むじゃん。
違うの。
オレはただただおっぱいが触りたいの。無欲に。どこまでも無欲に。
ひともみくらいでいいの。いや,ふたもみかな。
さんもみめからはおかしなことになりかねない気はしている。
皆さんはこう思うかも知れない。
「なにいってんの?」
「ねろ」
「へんたい」
一理ある。
でもオレは,オレは,オレはいったい何をこの文章で伝えたいのかっていうと,オレはおっぱいはそれほど好きじゃないの!ホントに。ホントのホントに。でもね。さわりたくなることがあるのです。無性に無償で無欲に。淡々と。
それは子どものほっぺたを「むにっ」て掴みたくなるアレに似ている。
猫の肉球をぶにぶにしたくなるあの感じに似ている。
スーパーの肉や魚が包まれたあのビニールをグニュグニュしたくなる感覚に似ている。
目の前に木魚があったら叩いてみたい衝動に駆られるのに似ている。
おっぱいもさ。そもそも本来その欲のカテゴリにあったんじゃないのかなって。あんなナチュラル曲線な鋼鉄ワイヤーによって寄せて上げられているみんなのおっぱいをオレこそが開放するべきなんじゃないのかなって。
オレってば,それほどおっぱいに固執偏執してなかったからこそその真実に気づいてて,本来の価値をもって正しくおっぱいを触りたいんじゃないかな,って。
ただこんなオレですら,さんもみめからはおかしなことになりかねない辺りに,おっぱいの本来の価値が変質したヒントがあるような気はしている。だからふたもみくらいでいいって言ってんじゃん!
でもそんな欲と闘いながら,おっぱいを開放する運命をオレは,背負わざるをえないのかも知れないな…
きっと長く苦しい道のり…
そして行き着くのは欲を捨て切ったさんもみめの世界…
なんかオレカッコイイ…
だが皆さんはこう思うかも知れない。
「ホントはおっぱい触りたいだけなんじゃ?」
「ホントはおっぱいすげえ好きなんじゃ?」
「へんたい」
一理ある。