コマヤド77**

雑な文

Night Rainbow

病院の面会室で僕たちはいつもの他愛もない会話をしながら眼下に広がる新宿の街を眺めていた。あそこで怪我をしてここに運ばれそのまま入院と相成ったわけだが,その日から僕らはずっとこの風景を眺めている。なんの主張もないようなドコモタワーのとんがった部分は薄暗くなるとイルミネートされ,一日の終わりとも一日の始まりとも取れる0時カッキリに消える。反対側の棟にあるテレビ部屋からは悪の巣窟みたいなスカイツリーが,灰色のままにぼんやりと薄光り(わるいやつがニヤニヤしているようにみえる),靄の中でその巨体をくねらせている。

そんな8Fの大きな窓ガラスに反射する自分の姿はどこまでも凡庸な中年男性で,沢山の老人に混じって歩行器で歩く友人は何故か活き活きとしてみえた。「奇跡でいいから明日にも退院したい」毎日そう願いつつも凄まじい努力を続けるその姿と自分を比較してしまえば,そういった思いも頭をかすめる。

見舞いへの感謝の言葉を添えながらペコリと頭を下げ手を振るいつもの姿を,エレベーターの野郎がシャットアウトする。地下鉄に乗り,歌舞伎町近くにある駅で下車する。すっかり暗くなった地上に舞い戻り,まさに喧騒という文字そのものの街のなかに強制的に参加させられ,僕はふっとどこからも消える。消え去る。

 

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夏のある日新宿の端っこにあるライブハウスで三上寛を観た。69歳になるという。ギターを爪弾きながら新宿の話をする。50年観続けてきた街の話をする。ふとドコモタワーの話になる。夜になると虹色のイルミネーションのときがありますねえ,と独り言のようにつぶやく。ひとは死ぬとリンのせいで青白く燃えますね,ヒトダマともいいますね,でも本当の高温で燃えるときひとは虹色に燃えるそうですよ,ほんとなんですかね,それはキレイなんですかね。と小さく笑いながら歌い始める。目はずっと薄く瞑られ,ときどきこちらを確認するように一目し,また目を瞑って話し出したり歌いだしたりする。声は淀みがなく,ギターは優しく,その場にいた人たちにしか伝わらない範囲で,奇跡のようなライブをどこまでも続けてくれた。

 

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ハバナイ!(Have a Nice Day!)が新曲を配信した。タイトルを「Night Rainbow」という。数日前の,一日の終わりとも始まりとも言える0時カッキリに配信された。イヤホンから流れる音の重なりを聴くに連れ,いくつかの映像が僕の頭の中で走る。一日の終わり/始まりに消える虹のイルミネーション。ひとの最期は虹色である可能性。フードを被ったまま踊る浅見さんの影が黒く光る瞬間。すべてが流れるように重なって,それらの映像が僕の頭のなかを巡る,駆け巡る,走る。

頭の中の映像に身を委ねながら,自分たちに歌詞を重ねて聴く。中学生みたいな聴き方。それでいい。大丈夫。歌はドロップされた瞬間から僕たちのものだ。だからきっと2人きりはぼくとあいつだ。僕らは神様の手のひらからどこまでも零れ落ちていく。欲しいものはひとつだけ。終わらない夜に踊り続けている。どこまでもどこまでも零れ落ちていく。欲しいものはなにもない。僕たちの夜を越えて。NIGHT RAINBOW。夜に掛かる虹を越えて。

 

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僕らの世界では夜に虹は掛からない。だけど,ドコモタワーは僕らの夜を虹色に照らしてくれていた。電気仕掛けなA.I.には心なんてどこにもない。だけど,すべてが終わり始まる0時カッキリ(ドコモタワーがブラックアウトするその瞬間)に,デジタル・クラウドから僕らの心臓に向かって落っこちてきたこのデジタル・ダンス・ミュージックが,いろんな想いを,希望を,愛を,歌ってくれている。

もし奇跡があるというのならば,それもきっと奇跡。まあ思い込みだって別にぜんぜん構わない。ロマンチストと笑ってくれて別にぜんぜん構わない。だって僕らは最期には虹色になって燃えて消える。街の喧騒そのものになって,夜の虹に見送られ,虹色の煙になって消える。でもそれまではどうか,踊り続けよう。でもそれまではどうか,どうか,愛を止めないで。愛を止めないで。愛を止めないで。愛を止めないで。

 

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LINEではうまく書けなかったけどさ,だからぼくはきみのうたじゃないか,って思ったんだ。ついでにぼくも入れちゃってぼくたちのうたってことにしようじゃないか。うはは。以上私信をインターネットの海に放り投げます。だってインターネットは愛を伝えるために生まれてきたんだからさ。

 

 


Have a Nice Day! / Night Rainbow