コマヤド77**

雑な文

Cocco(2007年起稿)

当時,テレビを付けたら不意に演っていたコッコのライブを観て,即書いた文章。

我ながら暑苦しい。こういう部分がモテない秘訣である。我ながらホント暑苦しい。

今後はモテたいので反面教師的扱いでアップすることにした。

 

  

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ヒョロリとした女性がひとり,終戦記念日の夜に,彼女の場所である沖縄の地で,とにかく一生懸命に喋り,泣き,笑い,そして歌っていた。美しいとか力強いとか儚いとか真っ直ぐとかそういうのじゃなく,そういうのじゃなく,そういうのじゃなくてさ。僕には今も上手く伝える方法が見つからない。見つからないけれど,泣きながら笑いながらモガキながら,髪を掻きむしり,大きな口で歌い,長い手を振る彼女を,僕はずっと凝視に近い勢いで見つめていた。曲も彼女の事も殆ど知らないのに,硬直し,ずっとずっと見つめ続けていた。

 

 

語弊を恐れず書いてしまえば,彼女は繊細脆弱,一歩間違うと,一歩間違っているヒトなのだろうか。エッジギリギリをフラフラなヒトなのだろうか。浅野忠信とチャラが出ていた,塀伝いに世界の終わりを目指す映画みたいに。フラフラフラって。最後にバンッて!

 

  

 

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歌を歌う。みんなが集まる。シンプル。

観ていると,心地よくて,重苦しくて,それは何だか分からない。フクザツ。

分からないけれど,僕は時に心を奪われたり,掻き乱されたり,踊らされたりする。

僕もおそらく持っていたアレ。他の誰かも持っていたアレ。

 

それは赤ん坊の笑顔みたいなものだろうか。

それは初めて出会ったロックンロールや,思春期に初めてみたおっぱいみたいなものだろうか。

それは有り得ないゴールを目指した瞬間の決意みたいなものだろうか。

 

きっと僕はそういう何かを,知らぬ間にどこかに置いてきてしまった。

そして大人になったみたいな顔をして,ただただ歩いている。

ふと振り向くと,どこから来たのかさえ,僕には分からなくなっている。

不安が込み上げるけれど,僕はそのまま無表情に,また先を見ず歩き続ける。

大切なものからますます離れていく恐怖心を隠しながら。

 

 

(何だか分からないけれど何かを)得ること,それを守ること

(すげーなんとなく)愛と平和

 

 

日々日常、僕は世界をシャットアウトするためのイヤホンを耳に突っ込み,愛やらピースやらラブやら平和やらを聴いている。愛の歌や,世界の誰かや世界ソノモノを救うような歌ばかりを,全世界遮断のイヤホンを使って流し込んでいる。

 

僕はそれらを聴きながらアスファルトに向かって祈る。いやあるいは,俯いているだけかも知れない。ただ目を閉じているだけかも知れない。俯きながら,目を閉じながら,すごく漠然と祈っているつもりになる。一体、何を何のために祈っているのか,もはやよく分からないんだけれど。

 

 

 

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野外音楽堂に集まった人へ向かって,カメラに向かって,沖縄の夕暮れの海に向かって,彼女は手足をバタツカせながら,歌う。歌詞としては上手く聞き取れない。だが華奢なカラダから絞り出されるコトバコトバコトバコトバ。その洪水のようなコトバに圧倒される。それは強い祈りみたいだったし、ただの叫びのようでもある。

 

 

すごく野暮で平凡で在り来たりな言葉で表現するならば,僕はとても感動した。

テレビに向かって拍手をした。1年前のライブに向かって,ボクは拍手をし続けた。

彼女が手を大きく大きく振るから,ボクも大きく大きく振ってみる。

本棚に指先をぶつけながらも手を振る事を止めずに,画面に映るヒョロリとした女性に手を振り続ける。

彼女が脆弱なら,僕は一体なんだっていうのだろう。一体、なんだっていうんだ。

僕の振る手の勢いが落ちる。テレビではエンドロールが流れている。

 

手を振る行為を止め,テレビを消す。

僕は無音の部屋で立ち尽くし,歩くのをやめた。

歩き続けることをやめた。

 

後ろを振り返る。

そしてもう一度,誰もいない場所に手を振ってみる。

大きく大きく。

 

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こりゃモテんわ。

大幅に削除・修正・加筆したにも関わらずますますダメだこりゃ。

次こそモテ文めざす。JKとか。