Clammbon(2006年起稿)
あまりに寒いんで,夏っぽい記事を掘り起こしてきた。
もう7年も前なのね。
-----
会社の後輩が「週末の余り券あるよあるよー」とダフ屋風に近づいてくるので思わず買ってしまった。
日比谷野外音楽堂でのクラムボン。自慢じゃないが映画に使われていた一曲しか知らない。曲名は知らない。ダフ屋の勢いと,夏の野音と言うだけで購入決定。
結果的に,行って良かったと思えるライブだったと思う。全く予備知識なしでそれなりに楽しめた(ギターレスだと言うのも二曲めくらいまで気付かなかった!)のだから,好きな人には殊更良かったのだろうな,とも思う。僕は始まる前から飲んだくれていたし,ライブが始まってからもビールを購入しに三度も離席,トイレには二度も行っている。そんなやつに「よかった」とか言われても説得力皆無だけどさ。
夏の夕暮れに、蝉がわんわん鳴く。僕からすればクラムボンはそんな蝉の声たちのBGMでしかない。主はあくまで蝉であり,夏の匂いであり,野外ステージ音楽堂そのものだ。あるいは観客たちがこぞって飛ばすシャボン玉であり,ビールだ。僕は主役とも言えるビールを片手に,そんな情景を眺めては,ポップコーンを頬張る。夏の夕方はとてもスロウに,でも,いつも通り確実に終わって行く。蝉は鳴くのを止めたり,死んだりする。
そんな風に夕方が終わって行くのと同時に, Fishmans の ""ナイトクルージング"" が始まった。
それはもちろん,偽物だ。僕が欲しいのはそんなんじゃない。
偽物だけれど,野音に響く ""ナイトクルージング"" は何だかとてもとても特別だった。
僕が欲しいのはそれじゃないにも関わず。
僕はビールを買いに行く行為とトイレ以外で初めて立ち上がり,ぐるぐると何度か回転し,いろいろなものを眺めた。
休日出勤の明かりがビルから漏れている。
浴衣姿の不細工がとても魅力的に笑ってる。
沢山のシャボン玉が僕にぶつかって割れる。
小柄な女の子の髪の毛に蛾が止まってる。
雨雲が遠くで無機質に佇んでいる。
木々の緑が爽やかな空気を出す役割から,不気味な黒い陰に変質しようとしている。
どこまでも曖昧な夕方と夜の間で ""ナイトクルージング"" の例のフレーズが,キーボードから何度も何度も打ち鳴らされ,終わった。
小さな拍手をして,また座り直し,ちょっと何かを思ったが,ビールを飲み干す頃には何を思ったかなんて忘れてしまった。
ステージはステージで,まるで何もなかったかのように,軽いトークを挟んで,次の歌を歌い始める。
僕の知らない歌を。
その他にもBob Dylan (というかRCサクセション)の ""I Shall be Released"" をやってみたり,真心ブラザースを浴衣で歌ったり,岡村靖幸までやったりで,なんだか知らないが僕の世代が歓迎されてるみたいな気分になった。クラムボン自身の曲ももちろん良かったし,なによりキーボードボーカルの女性がとてもチャーミングに見えた。酔ってたせいかもしれないけれど。
夏真っ盛りの夜がやって来て,ようやく真っ暗かなと思った頃,ライブは終了した。会場の外では夏祭りのように出店が並んでいる。そこから少し離れると,大都会のいつものただの休日の夜に戻る。特にお腹は空いていなかったけれど,1番混んでる出店にビール片手に並んでみた。僕の知らない歌を,僕は適当に歌っている。でも音の余韻は不思議と残らず,夏のアルコールみたいだな,と心の中でつぶやいた。
クラムボンか。家に帰ったらちゃんと聴いてみよう。
-----
クラムボンを知らない,という視点ゆえか書いていることは酷すぎる。が,夏のわりと小さめの満喫感はよく出ているような気もする。
この後数枚のアルバムをちゃんと聴きました。それなりに好きな曲もできました。だけれども,この時の感覚を超えるのは難しいよね。だから,この時のクラムボンだけが僕の中のクラムボンでいいのかな,と。